在宅ホスピスについて

在宅ホスピスの事例

事例:ホームホスピスはまちづくりに、そして地域再生の要に(2)

かあさんの家 月見ヶ丘

「かあさんの家 曽師」を後にした私たちは、2010年にできた「かあさんの家 月見ヶ丘」に向かいました。4軒目となる「月見ヶ丘」は、宮崎空港の近く、丘を造成してできた住宅街にあります。

ここは、市原さんのご実家だったところ、家の図面を引いたり間取りを考えたりすることが好きだったというお母さんの思いがこもった2階建ての家、お父さんとお二人の終の住処と考えておられたようです。真裏にある高校のグラウンドに接し、部活に励む少年たちの元気な声が聞こえます。

市原さんは、「ホームホスピス 月見ヶ丘」を開設した翌々年、この家でお母さんを看取られました。姉妹3人とその家族に囲まれ、本棚にあった歌集を開いてみんなでお母さんが好きだった歌を次々にうたうなか、静かに逝去されたそうです。

「『かあさんの家』のありがたさがわかったわ」と言う市原さん。

家族の親密な看取りの時間に、スタッフはそっとお茶を運び、おにぎりを差し入れ、熱く絞ったおしぼりで疲れた家族をそれとなくねぎらいます。家族の後ろに控えて、心遣いをしてくれるその様子は、実は、「かあさんの家」の看取りの時の静かないつもの風景です。

お母さんが逝かれて、少し間取りを変えた家には、今、5人の方が暮らしています。昼過ぎのその時間、車椅子に座ってテレビを観ている男性がいらっしゃるだけで、他の住人の姿は見えません。皆さん、デイケアやデイサービスに行かれたようで、スタッフとその方がお留守番。ご挨拶をすると、かすれた声と笑顔で返されていました。

後からの、入居された時、その方が、あと2週間くらいと言われる重篤な状態で、と聞いて驚きました。日になんども痰を引かなければならなかった男性は、スピーチカニューレに替えてわずかながら言葉が出せるようになると、コミュニケーションが取れるようになり、急速に生きる力が出てきたそうです。

「おしゃべりされるから、痰を引く回数も減ってきたのよ」

最後まで、その人の生きる力を応援するのが、ホームホスピスです。

この6月には、四十代の女性をここで見送っています。

彼女の病は100万人に一人という致死性の難病。徐々に中枢神経が侵されていく彼女を見守り、介護をつづけたスタッフの話を前日、管理者の祐末めぐみさんからうかがっていました。

四十代の女盛り、幼い一人息子に何もしてやれず、ゆっくりと進行する病。彼女の怒りと悲しみを「かあさんの家」のスタッフ全員で受け止めました。

祐末さんは自分の休みの日に、彼女にお洒落をさせて息子さんと外で会う時間をなんどもつくりました。歳が近かった研修生は、彼女がファンだったEXILEのコンサートのビデオ試写会に同行して、二人だけの女子会をしました。スタッフは、息子さんの入学式に合わせて髪を染め、フォーマルスーツに着替えた彼女と息子さん二人の写真を撮りました。点滴の時、興奮する彼女を落ち着かせるために、看護師の久保野イツ子さんは、点滴が終わるまで娘を抱くように添い寝をしたと言います。

彼女の無念を受け止め、家族の苦難を受け止めた日々、どうしてこの人たちは、そんなことができたんだろう……。「かあさんの家」の包容力、強さ、やさしさが凝縮されているように思いました。

そしてそれは、その女性一人に限りません。住人一人一人の命に真摯に関わることで、彼らはより強くなり、深まっていくのでしょう。

表 札

「月見ヶ丘」の塀にも、小さな看板が出ています。じつは、この看板は、ご近所からの要望で急遽取り付けたものだそうです。

「宇都さん(市原さんの旧姓)の家がホームホスピスになったようだが、お年寄りがたくさんおられるから、何かあった時は助けに走らないかん。その時、どの家か迷ったりしとったんじゃいかんから、看板でそれとわかるようにしとってほしい」

ご近所の思いやりです。そこには、宇都さんとこの町の人たちとの長いおつきあいを通した信頼がありました。

そういえば、「月見ヶ丘」も「曽師」と同様、表札は家主さんのお名前でかかっています。

ホームホスピスは、ただ空っぽになった家を借りて開くわけではありません。「生活の匂いが残る家」ということが、一つの条件です。できれば、家具も電化製品も食器も、前の家主が使っていたものを使わせていただきます。

何より、その家の家主だった人の、地域で築いてきた信頼を継承させていただいています。表札は、その家の顔、その証なのです。

ホームホスピス宮崎(HHM)の沿革

「月見ヶ丘」を辞して、去年春、開かれた「暮らしの保健室」に向かいました。車で10分ほど走った恒久地区にあります。

「かあさんの家 恒久」をリノベーションしてオープンした「暮らしの保健室」は、高い天井に梁が渡り、やわらかな木の香りがする心地よい空間に変身していました。元の民家は大工の棟梁だった方の家。しっかりとした構造が惜しまれ、梁や柱は残して、一旦、家屋全体を宙に吊り上げるようにして建て直したとか。

東京・新宿の戸山ハイツの一画に秋山正子さんが開設された「暮らしの保健室」に倣い、小さなキッチンと大きなメインテーブルを設えました。

ここは、認定NPO法人ホームホスピス宮崎、そして、全国ホームホスピス協会の事務局も兼ね、訪問介護ステーションぱりおん、居宅介護支援事業所と訪問看護ステーションぱりおんを併設する大所帯、活気にあふれています。

ここで、これまでじつに様々な取り組みがなされてきました。

 

「さっき市原さんがおっしゃった「地域に開く」という言葉の意味を、もう少し聞かせてください」

ホームホスピス「かあさんの家」の母体は、認定NPO法人ホームホスピス宮崎(以下、HHM)、1996年、有志が集ってはじめたホスピスケアの勉強会から生まれた市民活動団体です。

HHMは、「市民活動支援補助事業」の助成に応募し、活動の資金を確保、それを使って「聞き書き教室」、「患者らいぶらり」、「患者と家族のためのよろず相談室」など具体的な活動を展開していきました。

最初のホームホスピス「かあさんの家」

その委員会で交わされた、「緩和ケア病棟は出来たけれど、高齢で認知症状のあるがん患者は痛みの訴えが少ないことや、長期になるという理由から、どうしても入院の順番が後回しにされる。その受け皿がほしい」という黒岩医師の一言が、「家で看取れない人がいる、じゃあ、私たちで家を借りて、そこに住んでもらえばいいんじゃない」という発想につながり、ホームホスピス「かあさんの家」の構想が生まれました。

そのとき、最初の「かあさんの家 曽師」の家主であり、第1号利用者となった内田澄志さんのご長男から、認知症が進み、施設を転々とするお父さんのことでHHMに相談があったのが大きな出会いとなりました。たまたまデンマークで福祉を学び、帰国したばかりの介護福祉士・永山いつみさんが短期の仕事を探していたことも幸運でした。

「明日からでも貸してください。大事なものだけ引き取ってください。あとは、そのまま使わせていただいていいですか?」と内田さんに頼み、一週間で家を開けてもらいました。いつみさんは、大きなサムソナイトを曽師の家に置くと、その足で内田さんとお父さんを介護施設に迎えに行ったそうです。

施設の面会室で拘束服を着てぽつんとうなだれて座るお父さんに、内田さんが「親父、家に帰るぞ」と言うと、表情なくうつむいていたお父さんの目から涙がこぼれ落ちたと言います。

ホームホスピス「かあさんの家」はその時はじまったのでしょう。

HHMの市民啓発活動の展開

ホームホスピス「かあさんの家」は、同じ年に「霧島」を開設。3年後に「檍」(あおき)、さらに3年後に「月見ヶ丘」を開設しています。

その間、HHMは次々に活動を展開していきました。

「HHMは地方にあっても、最新で、最良の学びをつづけたい」という発足当初から強い自負をもって、人から人につながり、多くの有識者、ケアテーカーを呼び、宮崎市民に向けて、毎年、素晴らしい内容の市民講演会を開催してきました。秋山正子さん、太田秀樹医師、柳田邦男氏、大島伸一医師、詩人の谷川俊太郎氏、最近では花戸貴司医師(東近江永源寺診療所所長)、赤ひげ大賞を受賞したうりずんの高橋昭彦医師などトップランナーが宮崎にやってきました。

また講演会にとどまらず、國森康弘氏の「いのちつぐみとりびと」の写真展、池田千鶴子さんの「ケアする人の心に寄り添うハープコンサート」など、豊かな文化としての在宅ホスピスを紹介してきました。

さらに、ケアする人ためのスキルアップ講座では、より具体的に、「高齢者のための家庭でできるソフト食講座」「癒しのコミュニケーション・アロマセラピー」など多彩な講座を設け、在宅ホスピス啓発活動を展開していきました。

中でも「聞き書き教室」はHHM発足当初から取り組み、聞き書き作家・小田豊二氏を招き、高齢者や終末期の患者さんのことばを採集していきました。これは「宮崎聞き書き隊」の結成となり、現在も活躍しています。

 

また、宮崎市の事業委託を受けて「地域における終末期ケア研修」を市内の各自治会に出前講座。市原さんは「かあさんの家」を紹介するとともに、「最後の時間に、あなたはどんな医療を望みますか」というテーマで市民に問うてきました。

市内の自治体をくまなく回った彼女の活動は、2014年に始まった「わたしの想いをつなぐノート」へとつながり、終末期に対する市民の意識を啓発する基盤を築いたのかもしれません。「終活」ということばが巷に溢れるずっと前からの取り組みです。

さらに、これが宮崎市による「地域ホスピス補助事業」(5年間)につながりました。

地域にひらく

「ホームホスピスは地域にひらかれていてこそ意味があるんです」と言う市原さん。ホームホスピスの基本は、在宅ホスピス。

「在宅ホスピスって、みんなが、自分が暮らしてきたところで生きていける、それを支えるための医療ですよ。だから、それは地域づくり。私たちのホームホスピスは、そこから生まれたんです」。

「在宅ホスピスって家でする医療のことだけを言うんじゃなくて、地域全体で取り組むことだと思う。それによって、地域を変えていくという視点がないと、本当の意味での在宅ホスピスにならないんじゃないかな。だから、地域再生の試みよね」。

「ホームホスピスの“ホーム”は家庭や地域の意味をもつし、“ホスピス”は病棟のことを言うんじゃなくて“もてなす”とか“気遣う”という考え方だから、HHM設立当初より『宮崎をホスピスに』と願ってきた地域づくりという活動の一つの拠点だとも言えるよね。

これって、地域包括ケアそのものなんですよ。つまり、在宅ホスピスを全国に広げることこそ、エイジング・イン・プレイス(誰でも住み慣れた地域でその人らしく最期まで暮らす)を実現することにつながっていく、地域再生の要となりますね」。

 

昨年、ホームホスピス宮崎はその地域活動を高く評価されて保健文化賞を受賞しました。

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