在宅ホスピスについて

在宅ホスピスの事例

事例:在宅ホスピスのぬくもり

 訪問看護ステーションOhanaの看護師・羽太さんの車を追って、息子さんが在宅療養をされている権藤さんのお家に同行させていただきました。

 福岡市中央区にあるアパートの1階、一昔前の小規模な団地で、建物と建物の間が広く、子どもたちが走りまわれる場所があります。川を隔ててヤフオクドーム、福岡特別支援学校、福岡市発達教育センターがあり、2014年に移転するまで福岡市こども病院もあった地域です。

 玄関に出てきてくださった権藤さんは、可愛いTシャツを着た明るい雰囲気の女性です。羽太さんは慣れた様子で挨拶を交わし、息子さんの光一郎さんの様子を聞くと、そのまま奥のお部屋に入って、光一郎さんのケアを始めます。

 ベランダに面したリビングのソファで、権藤さんのお話をうかがいました。リビングを大きく占めるのは、光一郎さんの介護ベッドです。テレビの横の棚には、元気な可愛い少年のスナップ写真。発病前でしょうか、とてもハンサムな少年です。

Q:光一郎さんは、ずっとご自宅にいらっしゃるんですか。

権藤:今年の5月に入院するまでは、流動食だったけど食べられたから、私は昼間、コウちゃんをおいて仕事に出ていたんですよ。でも、食べられなくなって医療ケアが必要になると、9時から5時まで一週間フルに働くことはできなくなりましたけどね。仕事をしているとコウちゃんには悪いけど気がまぎれるし、家に帰るとほんとに可愛いなあって思えるんですよね。

 

Q:いつ発病されたのですか。

権藤:小学校1年の時でした。聞かれたことないと思うんですけど、亜急性硬化性全脳炎といって、1歳前にかかった麻疹のウィルスが脳に入って、早い人は小学校1、2年とか、遅ければ高校生くらいで、突然、そのウィルスが増えるんです。普通は、3カ月くらいであっという間に進行するんだけど、うちの場合は1年かけてゆっくりと進みました。

19年前になりますけど、病院でやっと診断がついても治療の方法がない。病院にいても治療することがないから「帰ってください」と言われて。当時は訪問看護サービスなんてなかったから、入院中に親が経管チューブの入れ方を習うんですよね。一週間に一回、そのチューブを替えないといけないんだけど、少し慣れたかなというところで退院でしょ。「何かあったら看護師が行きますから、電話してください」って言われて、帰ってきたその日から親がチューブの交換から何から何までしなきゃいけない。もう恐る恐るで慣れるまでが大変でしたよ。

それが今回退院する時は、主治医はもちろん、在宅医とか訪問看護師とかヘルパーとか、いろんな職種の人たちが20人くらいで退院前の話し合いをしてくれたので、「世の中、こんなに変わったんだ」とびっくりしました。

家に帰ったら、すぐに(介護)ベッドも来たし、看護師さんたちもその日のうちに来て、「明日から毎日来ます」って言われて、本当に安心。訪問の先生(在宅医)も定期的に来てくださるし、熱が出てもすぐに来てくれるからずいぶん楽ですよ。以前は、熱が出るたびに、私が病院に連れて行かないといけなかったから。

ただ、働きに出られないところは、まだかなあ。どうしても経済的にちょっときついしね。息子の場合は、20歳過ぎてからは障害者年金がもらえるようになったし、医療費の補助があるからなんとかやれていますけど、その辺がまだまだでしょうね。

Q:在宅医療がずいぶん整備されてきたようですが、小児の場合はとくに、なかなか家に帰ろうと思われないようですね。「帰ろう」と思われないのは、ご家族のほうですか。

権藤:不安なんですよ。医療処置があって、家に帰っても本当はできるんだけど、不安で病院から離れられない人が多いですよ。

だから、「訪問看護師が来てくれますよ」っていうと安心しますよね。

 

Q:訪問看護やヘルパーの存在は大きいですか。

権藤:それは大きいですね。「毎日、看護師さんが来てくれる」っていう安心は絶対的に大きいですよ。それに訪問看護が入る前から、長くお付き合いしてきたヘルパーさんが来てくれるでしょう。そこで、みんなとおしゃべりすることで鬱憤が晴らせますよ。

うちは離婚したけど、そこで、夫がいると食事の用意も考えないといけない。夫の中には積極的に参加する人もいるけれど、介護に参加する男性はまだまだ少ない。そこに、きょうだいがいたら母親は大変。訪問看護師さんやヘルパーさんは、ケアの負担を大きく軽減してくれますから、少しゆとりをもつことができますよね。

 

Q:光一郎さんにはお姉さんがいらっしゃるんですね?

権藤:上に娘が一人います。息子が小学一年生で調子が悪くなって、2、3カ月入院して、帰ってきて車椅子に乗っていたりすると、お姉ちゃんの同級生が彼女をいじめるんですよ。息子の同級生は、怖いから近寄らないの。2カ月に1回くらい、特別支援学校から元の普通学校に行ってたけれど、3、4年生の頃は友だちが誰も近寄ってきてくれなかった。元気で走り回っていた頃の息子と同じイメージが持てなかったんだと思う。

お姉ちゃんは、私が息子の車椅子を押すと、1メートルくらい離れてついてくるんですよ。どうしようかと思って……。ほんとに、あの頃、どうしよう、どうしようと思っていましたよ。

でも、娘が小学校6年くらいのとき、なんでも彼女を一番に考えるようにしたんです。それは、特別支援学校のお母さんからアドバイスされたの。そのご家族がすばらしいご家族で、お父さんが出社前に障害のあるお子さんに食事をさせたり、帰ってきて入浴させたりなさるんですよ。そのお母さんから教えてもらったんです。そういう意味では、大変な状況の人同士が話し合うほうがいいのかもしれない。

お姉ちゃんが変わったのは、中学校くらいから。だんだん変わってきて、今はうるさいくらいコウちゃんのことをいろいろ言ってきますよ。

 

 そう話す権藤さんは明るく、屈託なく見えますが、光一郎さんが発病して19年、介護保険がなかった時代からの闘病です。その間のご苦労は察するに余りあるものがあります。

権藤:最初、こども病院に2週間検査入院したんですが、「ここではできることがないから、大学病院に行ってください」って言われてですね。大学病院に入院したけど、治療方法はないんですよ。そこでも検査しますと言われたんですが、「もう検査はしなくていい」って言って、1カ月で強引に連れて帰ってきたんです。

一度、コウちゃんが肺炎になったことがあったんですよ。こども病院からは「もう九大に移ったから、あちらに行ってください」と言われて、大学病院に入院。そこで、抗生物質を入れたら3日で治ったんです。そうしたら、「帰ってください」って。でもその頃私はとても疲れていて、入院している間だけゆっくり眠れていたので、事情を話して一週間入院させてもらったこともあります。

でも今度、コウちゃんが呼吸が厳しくなって入院して、あと2週間と言われたときは、お姉ちゃんが「それだったら家に帰さないと」って、「家で看取ります」と言って連れて帰ってきたんですよ。だけど、元気になった! 家の方が、リラックスするのかなあ。

 

Q:在宅を勧められますか。

権藤:ウーン・・・。私は自宅の方がいいような気がする。だって、会いたい人が来てくれるし、お茶飲みがてら友人も来てくれるから。家に帰るとまずしゃべる人がいるじゃないですか。看護師さんやヘルパーさんが毎日来てくれると、「大丈夫かな」って自分の不安を話すことができるんですよ。そういうことがなくて、不安や心配を一人で抱え込んでいるとノイローゼになるんじゃないかな。

実際、普通の家よりもいっぱい人が来てもらっていますよ。でもね、人によっては、家に他者が入ることに抵抗があるみたい。私自身がはじめてヘルパーさんが来たときがそうだったけど、ヘルパーさんが来るからって、部屋を片付けていましたよ。もう今は平気になりましたけどね。

 

Q:他者を受け入れることが難しい方もいるんですね。

権藤:以前、九大の先生から一度会いに行って欲しいと言われて、コウちゃんの3カ月あとに同じ病気になった子どもさんのお宅を訪ねたことがあったんですよ。

お宅に行くと、お母さんは部屋を締め切って暗い中に子どもさんと二人いらっしゃった。お家が小学校の近くで、元気な子どもの声を聞くのがいやだって。だから、訪問学校があるから、そこに連絡してみたらって勧めたんですけどね、お母さんのほうがまいっておられた。

Q:お母さんが子どもの疾患を受け入れるのは、とても大変なんですね。

権藤:私はそうじゃなかった。診断を聞いたとき、「ああ、そうなんだ」って思って、次の日、図書館に調べに行くようなタイプだったから。その頃はパソコンがなかったからですね。

よく「なんでうちの子がなったんだろう」って泣かれるお母さんがいるけど、私は全然そういうふうじゃなくて、病気になったのに、「なんで」って考えても仕方がない。それよりも、先のことを考えようって思ったんです。もちろん一時間くらいは泣きましたけどね。

明日から、どうしよう。まず、調べよう。先生の言われたことだけじゃわからない。それから、九大の先生が取り寄せてくださった海外の資料など英語の文献をコピーしてもらって、家で訳して、先生に訊いたんです。「先生の子どもさんだったら、治療しますか」って。そうしたら、「僕だったらすると思う」って言われたので、「じゃあ、コウちゃんにもしてください」って頼んだんですよ。

 

Q:効果はありましたか。

権藤:それが、びっくりするほどあったんですよ。脳波的にも、当時実年齢が7歳だったのに4歳くらいしかなかったのが、すぐに上がったんです。でも、一カ月くらいしかもたなかった。2回目は全く効かなかったんですよ。

 

光一郎さんは今、26歳。はじめのころは鼻からチューブを入れていたけど、どうしても口から食べさせたくて、リハビリをして食べられるようになった、という権藤さん。

 

権藤:今年の4月末まで、口から食事ができていたから、ずーっとこのままで行くかと思っていたんですよ。だから、食べられなくなってすごくショックでした。

普通は、食べられなくなってからが長いんですよ。でも、コウちゃんの場合は逆。そのあとは短いかもしれないってお医者さんに言われたんですけどね、そのほうが本人は幸せかもしれない。

それまでは、ご飯を作ったら、それをコウちゃん用におかゆにして、ミキサーにかけたものを3種類つくって、夜一時間かけて食べさせていたんですけど、今はそれをする必要がなくなって。実際、ケアする私は楽なんですけどね。

いつも一緒に食べていたんですよ。同じメニューで、例えば、チャンポンを作るときは、具とおかゆはコウちゃんのおかずにして、プラスもう一品作るようにしていたんですよ。うちは和食が多いんだけど、コウちゃんは洋食が大好きで、ビッグマックとコーンスープを薄めたものをミキサーにかけたものがとくに好き。すごく美味しいんですよ。ふだんは一時間かかる食事が15分くらいで食べてしまうんですよ。

 

 お部屋でのケアが終わって、リビングのベッドに移った光一郎さんに痰の吸引などケアが続いています。お訪ねして1時間くらい経ったでしょうか。

 猫のさっちゃんが、見慣れぬ来訪者が気になるのか、うろうろしています。途中、北九州に住んでいて週に一回訪ねてみえるというという権藤さんの妹さんが入ってこられました。いろいろな方が、このお宅を訪ねていらっしゃるのでしょう。

 退院前に吸引の仕方を習って、日に20〜30回くらい吸引するという権藤さん。夜中の吸引は、お姉さんも手伝ってくれるそうです。

 

権藤:医療ケアが必要になった5月からノートをつけています。最初から進行する病気とわかっていたんだけど、頭でわかっていても、こころがわかってくれないんですよ。コウちゃんは、小学校に入るまで普通の元気な男の子だったから、歩くことも走ることも知っているから、だからよけいにつらい。

 

 光一郎さんが寝たきりになったとき、権藤さんはなるべく車椅子で外に連れ出していたそうです。夫は、そんな彼の姿を見られるのを嫌がったと言います。

 博多の大きな商店街のうどん屋に生まれた光一郎さんは、幼稚園のころから「いらっしゃいませ、美味しいうどんがありますよ」とお店のお手伝いをするような活発な子どもだったと言います。ご両親の期待はいかほどだったでしょう

 

権藤:病気がわかった後に、子供山笠に出させてもらったんですよ。泣きながら写真を撮りましたよ。これが最後の雄姿だと思って。

清潔のケアがすんでさっぱりした光一郎さんは、羽太さんにタオルケットをかけてもらい、リビングのベッドで休んでいらっしゃいます。しっかりと目を開けたその顔は、写真の中の少年がそのまま大きくなったハンサムな青年です。

 いま、この家で在宅ホスピスがゆっくりと進行しています。自宅でしっかりと光一郎さんに寄り添う母、そして姉。そのお二人を包みこむように専門職の羽太さんやヘルパーさん、医師がいて、友人や親戚が訪れる。一人の青年のいのちを中心に共同体が生まれ、彼らを決して孤立させない。在宅ホスピスのぬくもりがゆっくりと伝わってきました。

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