在宅ホスピスについて

在宅ホスピスの事例

事例:東京のホームホスピス〔1〕

 東京都小平市、中央線国分寺駅から西武多摩湖線に乗り換えて一つ目の一橋学園駅から西にまっすぐ行くと、落ち着いた住宅街に建つ小さなマンションの一階にホームホスピス楪(ゆずりは)があります。

 周辺には、一橋大学の小平国際キャンパスや津田塾大学小平キャンパス、また、駅の反対側には陸上自衛隊小平駐屯地があり、広々とした緑地が点在しています。

 

 ホームホスピスは西高東低、西から東に向かって広がっていった感があります。東京都は住宅事情が地方と大きく異なり、規制も厳しいため、全国ホームホスピス協会が定めた基準に合わせた「家」づくりはむずかしく、なかなかひろがらないのが実情です。そんななか、満を持してつくられた「ホームホスピス楪」は、協会やホームホスピスの展開を応援し見守る人たちから大きな期待を寄せられています。

 代表の嶋﨑叔子さんは、介護福祉士。お母さまを桜町病院聖ヨハネホスピスで看取ったことから、遺族会の立ち上げに参加し、その運営に主体的に関わってこられました。お母さまを看取った時の主治医が、今、ケアタウン小平で診療所を開いている山崎章郎医師。1990年にベストセラーとなった『病院で死ぬということ』で日本の病院信仰に衝撃をあたえ、その後はホスピス病棟、地域に密着した診療所と場所を変えながら一貫して緩和ケアに取り組んでいらっしゃいます。

 ケアタウン小平でも週に一回、入浴介助などのボランティアをしてきた嶋﨑さんは、長年のいろいろな関わりを通して、山崎医師のホスピス思想とその展開に大きな影響を受けてこられたのではないでしょうか。

 嶋﨑さんにお話をうかがいました。

Q:楪という名前にされたのはどうして?

嶋﨑:ホームホスピスをつくろうと思って家を探していた時に、名前をどうしようかなと思って、いろいろと本を読んでいたら、この名前が出てきて。楪ってお正月の鏡餅の下に敷いてあるあの大きな葉なんだけど、若葉が芽生えてしっかりと伸びてきたら、それを待つように古い葉が落ちるの。だから、枯れた葉と若葉がいっしょに枝についているときもあるんだそうです。「譲る葉」って意味からきたのかな。いのちを繋ぐって意味だから、ホームホスピスに相応しいかなと思って。

 

Q:家を探すのに苦労されたと聞きました。

嶋﨑:結構、苦労しましたね。東京で宮崎のような「家」を見つけることは、すごく難しい。最初は500坪の敷地の家で、大家さんがとても熱心にホームホスピスの活動に興味を示してくださったけど、ご家族の賛同が得られなかった。次の家は、本当に間取りもよくて、お庭に一本の楪が植わっていて、ここだ!って。その家にお住まいだった方の娘さんが「是非、使ってください」って言われたんだけど、「こういう方がともに住む家」ってお話ししたら、「それは困ります」って。

それで、ホームホスピスの活動や趣旨を一所懸命お話ししたんですが、「すばらしい活動をされているのはよくわかります。でも、私たちは、ここで静かに暮らしています。両親が育ててきたご近所の環境が変わります」って丁重にお断りされて。本当に申し分ない家だったからがっかりしました。

 

Q:そのあと、ここはどうやって見つけられましたか?

嶋﨑:ネットで見つけたの。「だめだねえ、どうしようか。NPO法人も立ち上げちゃったのに……」と悩みながら、住宅ではなく店舗で調べたんですよ。そうしたら、ここの見取り図が出ていて、あれ?普通の家みたいだねって。

 楪は、確かに、ごく普通の住居に見えます。

 白い扉を開けて玄関に入ると、正面に置いた素敵なキャビネットの中から小さな人形や住人の笑顔の写真が迎えてくれます。キャビネットや人形は住人にいただいたものだそうです。玄関脇の廊下から奥に進むと右手にリビング、それを囲むようにキッチンと住人の部屋があります。家の中心にリビングがありますから、そこにいると夜でもすべての部屋の気配が感じられます。

 各部屋には大きな窓や小さなベランダに面した掃きだし窓があり、何かあればすぐに家の外に出られるように配置してあります。

 住人は今、ご高齢のご婦人が4名。要介護度は3から5で、テーブルを囲んで本を読んだり、おしゃべりしたりしている様子はとても家庭的で和やかな雰囲気です。2階は小さな事務所になっています。

 

嶋﨑:犬猫を飼っちゃいけないとか、大きな音、大きな看板を出しちゃいけないとか、制約もいろいろあったけど、ここに落ち着いたんです。

 

 4階建の小さなマンションは、往年の名歌手・松島詩子さんが所有されていたもので、1階は彼女の住まいと歌の教室だったそうです。1996年に91歳で亡くなられましたが、それまで、小平母の会の初代代表を務めるなど地域に貢献してこられたそうです。

 その松島詩子さんの住んでおられたマンションだということが、古くからここに住む地元の方々に好感をもってもらうことにつながりました。内覧会を開いたとき、地域の住人からは、「ああ、あの松島先生のお部屋がこうなったのね」「こんなところがあったら安心ね」という声も聞かれたといいます。

 しかし、何より、車で10分ほど走ったところにあるケアタウン小平の存在がものを言いました。楪の周辺には山崎先生が看取られた住人が多く、その信頼が大きかったと言います。

Q:嶋﨑さんはどこでホームホスピスに出会われたのですか?

嶋﨑:おおくまゆきこさんが新聞に書かれた記事を読んだんです。サルのおばあさん、「かあさんの家 曽師」におられた三戸サツヱ先生のことが載っているのを読んで。

その数年前に父を特別養護老人ホームで亡くしたんだけど、そこで見た入所者の様子があんまり寂しかったのよ。私は毎週、父の元に通って食事の介助などしていたんだけど、他の入所者のご家族は誰も来ないようなのね。食事の介助をしていると、みんなの視線が集まってきて。それから、父はもう最期のほうだったからオムツをしていて、それが濡れると気持ち悪いから替えてくれって職員に頼むと、30分待ってくれって。順番がこないと替えてくれないの。事務所に飛んで行って抗議して、それからはもっと注意してケアしてもらえるようになったんだけど、他の方は誰もこないから、変わらない。そんなことでいいのかって。

何とかならないかとずっと考えていたけれど、なんの資格も経験もない私には、何もできないと思っていたんです。でも、記事を読んで、こういう「家」だったら私もできるかもしれないと思って。

今、副理事長をしている犬飼さんに「これ、できないかな」って話したら、「やってみたら」って。自分はできないけれど、手伝えることはするって言われて。「よし、じゃあ、ともかく宮崎に見に行こう」という話になって、「かあさんの家」にお電話したら「どうぞ」って言われてですね。その時、聖ヨハネホスピスの遺族会「さくら会」の代表をされていた、今、NPO法人武蔵野の理事をしていただいている方と3人宮崎に飛んだんです。それが5年前。

行く前に、山崎先生に「ちょっと宮崎に行ってきます」って報告したら、「何しに行くの?」って訊かれて、「かあさんの家を見てきます」って言ったら、「ああ、じゃあ僕、電話しとくね」って。

山崎先生は、実はその前から「かあさんの家」のことを知っておられて、その1年くらい前には宮崎にも行かれて、市原さんのことも知っておられたそうなんです。

Q:実際に見学されてどう思われましたか。

嶋﨑:はじめに市原さんが概略を説明してくださって、そのあと管理者の祐末さんが見学に連れて行ってくださったの。普通のお家でね、みんな和気藹々と暮らしていらっしゃるでしょう。自分で「やる」という前に「東京にもこんな家がほしい」と思いました。

それが11月くらいで、12月に第一回の全国ホームホスピス研修会が熊本であったでしょ。それにも参加させてもらって、そのあと、市原さんたちについていって、「かあさんの家」でボランティアを2週間させてもらったんですよ。

 

Q:素晴らしい実行力ですね。

嶋﨑:ええ、でもボランティアはさすがに疲れちゃって。でも、「かあさんの家」のスタッフは温かい人が多くて、2週間のあいだに1日、ダウンしてしまったんだけど、その時も、お食事を運んでくださって、いろいろ気遣って声をかけてくださったんですよ。身にしみるような温かさでね、今もその時のスタッフとは交流があるんです。宮崎のお家の畑で採れたお野菜を送ってきてくださったりね。

 

 実際にホームホスピスの中に入ってみた嶋﨑さん。2週間のボランティアが終わって、カバンを手に玄関に立ち、お礼と別れの挨拶をしながら、「私、やっぱりできそうにないです」と思わず弱音が出たそうです。

 市原さんは、「あなたならできるわよ。軸がぶれないようにすることよ」と励ましてくれました。「まず倒れないこと。自分の思いをきちんと持って、それを忘れないこと。そして、あきらめないこと」と、後押ししてもらったそうです。

 

(取材日:2016.11.1)

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