日本財団

在宅ホスピスHOSPICE CARE AT HOME

ホームホスピスはまちづくりに、そして地域再生の要に(1)

ホームホスピス

2004年、宮崎市内の空き家になった民家を利用してはじまったホームホスピスが、今、徐々に全国に広まりつつあります。現在、ホームホスピスは宮崎市内に4箇所、全国合わせると26箇所、開設準備中のものを入れると30箇所を超えます。・・・とはいえ、全国に急速に増えていったホスピス病棟、多様な介護施設の中で、数からみれば大海の一滴にすぎません。

この小さな「家」が、医療・介護・福祉に限らず、都市工学や社会学、建築学など様々な分野の関心を集めています。ホームホスピスの目的、その仕組み、そして魅力を知りたくて、宮崎市内の「かあさんの家」を訪ねました。

案内してくださるのは、去年、設立された全国ホームホスピス協会の理事長、市原美穂さん。「かあさんの家」の母体となる認定NPO法人ホームホスピス宮崎の理事長でもあります。

宮崎市曽師町は落ち着いた住宅街、縦横きちんと区画された道に沿って塀で仕切られた家が立ち並んでいます。その一画に建つ「かあさんの家 曽師」は、ブロック塀に立てられた看板を見落とすと、行き過ぎてしまいそうなくらい周囲に溶け込んでいます。

ホームホスピスは、このどこから見ても、ごくふつうの民家からはじまりました。

ホームホスピス「かあさんの家 曽師」

ホームホスピス「かあさんの家 曽師」

玄関にかけられた表札は「内田澄志」、ホームホスピス「かあさんの家」の最初の利用者であり、家主でもある内田さんのお名前がそのまま残っています。

玄関を入ると傘立てに杖が数本、利用者のお散歩用でしょう。段差がある玄関で、とくにバリアフリーは施されていません。

味噌汁のいい匂いがしてきました。ちょうどお昼時、住人の皆さんのお食事中にお邪魔しました。リビングのテーブルを囲んで4人、食事介助が必要な方のそばに二人のスタッフが付き添って、話しかけながらゆっくりとお年寄りの口にご飯を運んでいます。

ホームホスピスでは一人一人に合わせた生活のリズムを大切にしていますから、「何時から何時まで全員食事時間」でなく、ゆったりとした食卓の風景です。

皆さん、食事中の訪問に恐縮する私たちに緊張した様子もなくもぐもぐと口を動かしながら、時々、ご挨拶に応えてニコッとされたり、興味深げにカメラマンの動きを目で追っていらっしゃいます。

襖を開け放った部屋の向こうには、ベッドが2台。一台には重症の方が寝ておられ、先に訪れていた訪問看護師さんが二人で医療処置を施されていました。市原さんが「お邪魔していますよ」と声をかけると、お分かりになった様子で、くぐもった声が聞こえます。

曽師は3.5LDKの平屋建て、玄関を上がってすぐ横に一部屋、リビングを真ん中に二部屋、広めの縁側の奥に収納庫を改造してもう一部屋予備の部屋があります。ここは、緊急に入居者を受け入れるときや、利用者のご家族が泊まるときに使います。

スロープのついたウッドデッキが張り出した庭はこぢんまりとして、可愛らしい花々で縁取られています。ご近所の方が手入れをしてくださるとか、やさしいお庭です。

ホームホスピス「かあさんの家」の実際

市原さん

市原さんのお話をうかがいました。

「空き家になった民家を借りて、そこに5、6人のいろいろな条件で行き場を失ったお年寄りに住んでもらい、ともに暮らしてもらう。そこに外から介護や医療のケアが入ってその方達の暮らしを支え、ホスピスケアをする。それがホームホスピスの基本のかたちです」。

「5、6人というのは?」

「だって、ふつうの民家だったらそのくらいの人数になるでしょう? でも、できれば5人。5という数は、生活の黄金律だと思うんですよ。お茶碗だってお皿だって、だいたい5個がセットになっているでしょう。

そのくらいの人数だと、ちょうど疑似家族のようなかたちになるんですね。互いを気遣う小さな社会性がそこに生まれる。“とも暮らし”が可能になるんです」

「みなさん、ご高齢の方が多いようですが」

「今はそうとばかりは言えない」と言う市原さん。

始めた当初は、がん末期などの病を抱えた上に重度の認知症などの条件が重なって、病院や介護施設の受け入れが悪く、落ち着く場所を探しておられるお年寄りや、一人暮らしが不安になったお年寄りが主でしたが、今は高次脳機能障害の方や神経難病などで、家に帰りたくても、介護力の不足や医療面での不安などで帰れないという方もいらっしゃいます。

「看取りの家」

「ごめんなさい、すごく初歩的な質問ですが、ホスピスということは、そうした方々の看取りの時まで視野に入れて?」

「もちろんです。ホームホスピスは“看取りの家”です。でも『死を待つ人の家』じゃないのよ。いろいろと困難な条件をもつ方を、ふつうの暮らしの中に迎え入れ、最期まで尊厳を保って生きていただく「家」、『暮らしのなかで逝く』は、ホームホスピスの重要なキーワードです」

「それって、受け入れる側はものすごく覚悟が要りますよね」

「そうかなあ。ホスピスケアというのは、死ぬまでその人らしさを支えるということですから、看取りまでというのは当然のことですよね。『これ以上、手がかかるんだったら、うちではみれません。出て行ってください』って言うんだったら、それはホスピスじゃない。その方が望まれれば最後まで看る、こちらからは、決して手放さない。それはホームホスピスとして当たり前のことです」ときっぱり。

「もう一つ大事にしていることは、死を隠さないこと。ホームホスピスの基準(2015年12月制定)では、“看取りの文化の継承”を活動の枢軸に置いているんですよ」

「“看取りの文化の継承”ですか」

「ほんの少し前まで、死は日常の暮らしの中含まれていたんですよ。自宅で亡くなるのが普通だったのに、昭和52、3年ころを境に病院死が伸びていったんです。それは医療技術の進歩とも関連していて、大きな病院で治療が行われるようになったのね。でも治療の甲斐なく亡くなる、そして病院で亡くなるのが普通になってしまった。治療の果てに亡くなるということは、マイナスのイメージですよね。

そして、だんだんと死が日常から見えなくなってきたんですよ。何か特別のこと、忌まわしいものとなっていったのではないでしょうか。」

「ホームホスピスの基準」には、基本理念として「死を単に一個の生命の終わりと受け止めずに、今を“生きる”人につなぎ、そこに至るまでの過程をともに歩む、新たな“看取りの文化”を地域に広げます」と明確にうたっています。

「だって、生の延長線上に死はあるわけでしょう? 死だけが見えない社会っていびつですよ」

ホームホスピスの仕組み

かあさんの家

「住人の皆さんの生活を支えていらっしゃるのは、ヘルパーさんですか」

「ヘルパーはもちろんですけど、ホームホスピスには適切な医療のケアが欠かせないから、かかりつけ医や訪問看護師はもちろん、歯科医、薬剤師、訪問入浴サービスなどパラメディカルの人たち、それからもちろん家族。みんなで支えています。ボランティアの方も入ってもらってるし、弁護士、栄養士とかいろいろな専門職の方が関わってくれてます」

「でも、実際に、日々日常の暮らしを支えていらっしゃるヘルパーさんの存在は大きいですよね?」

「そうねえ。今、『かあさんの家』では日中2人、夜間1人のヘルパーが常駐しています。

彼らは、家族に代わって暮らしを支える存在です。介護保険制度だけでは、一人の人の暮らしのすべてみることはできないんですよ。だから、ホームホスピスのスタッフとして、フォーマルとインフォーマルのサービス両方で支えることになります。

と言って、ここからここまでは、介護保険サービスです、ここからは違います・・・と一人の人の中で分けるわけにはいかないでしょう。日常の暮らしにそんな継ぎ目はないでしょ」。

フォーマル、インフォーマルを分けるのは、保険の点数上のことで、スタッフは、いわゆる2.5人称の存在、家族じゃないけれど、家族に代わる者として住人の生活を支えるのが、ホームホスピスの仕組みです。

介護スタッフは、「かあさんの家」の母体となるホームホスピス宮崎の事業体の中にある訪問介護ステーションぱりおんに所属しています。その他は、ほぼ外付け。

かかりつけ医も訪問看護ステーションも、住人それぞれ違ってかまわないし、住人はそれぞれのニーズによって、「かあさんの家」からデイサービスやデイケアなどに通っています。

「一軒の家、一つの事業体の中だけで完結しない。それは地域にひらいているということなんですよ。

ホームホスピスそれ自体は、見ていただいたように1軒の「家」。だけど、私たちは、ホームホスピスを市民運動としてとらえています。地域をひらいていく社会活動として考えているの。この視座は、ホームホスピスの基盤なんです」。